北九州市ってどうなってるの?

SBM303SH

この度は私の母が6月26日以降、事実上拉致監禁状態であり消息が途絶え、警官により不当に私が右上腕を骨折させられたことに関してどういう対抗手段があるのか分からなく、ご相談があります。
以下、私の記憶の範疇で極力客観的な事実を述べたいと思います。
昨年2月7日、私の父が紆余曲折(末尾の付記に記載)あって死去し、その前後において同居していた母と一人っ子である私は、心身ともに疲れきって二人暮らしをしていました。
母は糖尿病を患っておりながらも飲食業(深夜業)を営んでいました。
また、私の方は有り難いことに過去の履歴を各企業から評価して頂きヘッドハンティングやプライベートオファーの依頼があったのですが勤務先が東京本社や福岡市が多く、母が私と離れて暮らすことを拒み私としても母を一人にしておくことは心配だったので母を介護しながら個人的に公認会計士等の学習をしていたこともあり、ビジネスのアイディアがあったので事業を行うために必要な事業計画やデータ収集をしていました。
先に述べた通り、母は糖尿病を患っておりへモグロビンa1cの数値が高く合併症が心配だったので掛かり付けの病院に通ってました(母の体調が悪いときは私が代理で薬を取りに行っていました。)。
母の病状は良かったり悪かったりしながらも自らの体調と相談しながら店を開けており常連のお客さんとのコミュニケーションも母にとってはある意味ストレス発散の場でもありましたが、それから父の件を契機に心身ともにストレスが極度に溜まりお店も休みがちになり私も母のことが心配になって色々と愚痴を聞いてあげたり手伝いをする頻度が増してきました。
母が独り言を言って私が夜中に毎日のように起こされ私自身の気力も体力も落ちていく一方でした。
そのような状態が長引くにつれもっと前向きに母は体調を改善でき、私は今後の将来の目標に専念できる方法がないか色々な相談センターに相談していました。
そして、最終的には役所の保険福祉課しかないとアドバイスをいただいてそちらに相談することにしました。
今年の始め頃に、少し母の言動がおかしく感じ、その時は救急車を呼び、何故か八幡東警察署も来て、その日は母は警察署に一泊保護され、翌朝市立八幡病院へ行き、白石 康子精神科医の診察を受けレビー小体型認知症の可能性はあるが特定できないとのことでした。そして、白石 康子精神科医は、突然「お母さんをどうさせたいのか!?ショートステイに行かせたいのかハッキリ答えなさい!」と大声で頭ごなしに怒鳴り付けられて、私は酷く困惑しました。また、白石 康子精神科医は「医者とは喧嘩しない方がいいよ!」と勝ち誇ったように言っていました。私は母を懸命に介護していたにも拘らず私が悪者のような扱い方を受け酷く傷つきました。ドクターハラスメントだと感じました。その時は私はショートステイというものがというものがどういうものなのか知らずいきなり迅速な回答を迫られてもどうして良いのか分かりませんでした。以前に直方中村病院という認知症専門の病院に入院したときに母はとても嫌がっていたので母にとってそれが良いものかどうか瞬時に決断することは難しかったのです。結局ショートステイをなかば強引に決めさせられた形になりました。なお、その医師は私の顔を一切顔を向けず、こちらに向かい合うことなく、そっぽを向いてひたすらPCばかりを凝視していました。
その後も、私の介護疲れが酷い時はショートステイのシルバーメイトというところに何度かお世話になっていました。
そのような日々を過ごしていたのですが、平成27年6月25日の3時頃ショートステイの約束をしていたにも拘らず「近くによったので。」と午前10時頃にやって来て母をショートステイに連れていこうとしましたが母がそれを拒んだためしばらくして家に戻ってきました。そして、正午頃、呼ぶ声が玄関から聞こえ、母が、「どなた様ですか?」と言いながらドアを開ける音がしました。私は母の介護で疲労が溜まっており睡眠不足もあり、仮眠をとろうと思ってうたた寝をしていました。「何だろう?ケアマネージャーの山西さんとショートステイの人かな?」と思いながら、母が先に応対してくれたので、寝ぼけ眼で横になっていました。そうすると、もう一度呼ぶ声が聞こえたので私は身体を起こして部屋から出て玄関の方へと行きました。すると玄関口で応対していたはずの母の姿がなく、そこには警察官らしき服装(らしき服装と表現したのは今日び警察官の変装をすることは難しいことではないし、私個人としても警察官の服装をまじまじと観たことがないからです。)をした男たちが複数人無言で怪訝そうな目付き立ちはだっていました。
母が何処に行ったのか心配になると同時に見に覚えのない突然の珍客に驚愕しました。私は母は何処に行ったのかと慌てて玄関から出ると一人の男性警察官が私の両手首を掴みました。両手首を掴まれるととても身の危険を感じ防衛本能が働いて反射的に右手首だけでも外そうとし、なんとか右手首を放すことが出来ました。すると今度はもう一方の警察官が私の右手首を掴み、二人の男性警察官がそれぞれ私の左手首と右手首を掴み、「一体何なんですか?」と私は言い、二人の男に両手首を掴まれると、それを回避するには攻撃的防御しかないのですが警察に抵抗する訳にもいかないので無抵抗のまま両腕に力を入れてて耐えておりました。
右手首を掴んだ警察官は無抵抗な私に執拗に食らいついて私の腕に間接技か何か必死にかけようとしていたのは感じとられましたが。玄関から出て右側に母の姿が見えホッとして胸を撫で下ろした矢先、右にいた警察官が片手同士では私の腕力には歯が立たず、私は腕に力を入れてじっとしていました。その警察官は片腕同士だとびくともしないので「この馬鹿力が!」と言いながら手首を掴んだ警察官が私の右手首を両手で掴むや否や私の手首を思いきり捻りながら全体重をかけて下の方へ引き下げ、私の上腕部の辺りがバキッと鈍い音をたてて腕が上がらなくなってしまいました。日頃のストレス解消でもしたかったのでしょうか?
その際右を向くと八幡東区役所地域包括センターの荒巻さんともう一人役所関係の人間らしき男性の後ろに母の姿が見えました。
母は「何するのあなた達!息子の大事な右腕を怪我させて!」と叫んでいました。
私としては訳がわからない状態でした。ただ母の介護をしながら今後の事業経営のためにの準備をしていただけなのに、突然の警察署名も名乗らず、警察手帳も見せず、どのような用件で家に来たのかも言わず、一体何が起こったのか解りませんでした。
直ちに救急車が呼ばれ、北九州市八幡東区春の町にある済生会病院へ搬送されました。
搬送途中警察から「あなたは法律の勉強をしてるから解るよね?公務執行妨害で逮捕。」と言われました。しかし何の公務なのかなのかさっぱり解りませんでした。いきなり無言で両腕を捕まれたら防御本能が働くはずです。男二人に両手首を捕まれて身の危険性を覚えることは当然至極だと思います。 私は母の介護をしていただけで刑法その他法に触れるようなことはしていない認識があったので尚更驚きました。
私がその暴力を振るった警察官に名前を訊ねるとその警察官は名前を名乗らす黙ったままでした。(通常、名前を訊かれたら答えるはずです)顔は覚えています。今思い返すとその警察は何度か見たことがあります。本来行うべき公務に私情を挟んでいるのではないかと思えるほどその警察官はストーカーのごとく私のことを知っていて粘着し、まるで憂さ晴らしでもするかのように警察という立場を利用してやりたい放題しているように思えました。日頃の色々なストレスが溜まって警察が必要以上の私的感情を交えての暴力行為を働くことが多発しているというのはニュースやネットで見たことがあります。最初から敵意むき出しの態度だったので非常に疑わしいです。私が九州大学を卒業し公認会計士等各種の資格の勉強していることをあらかじめ知っていてそれに対して言及していることから鑑みてもその事が窺われます。そのようなことを言及することが警察官としての任務に必要不可欠とは思い難いからです。何故、介護疲れ等で身も心もボロボロになっている弱者を、あんな酷い骨折をさせる(他に手段があったはずです)必要性があったのが是非とも伺ってみたいものです。こちらとしては正当な主張があります。母を隠し、用件も言わず、警察であることも語らず黙っていかがわしい目付きで突っ立ったままであることは私にとっては警察としてあるまじき行為なのか疑問を感じ任務懈怠であるという印象が拭いされません。警察官は危険と隣り合わせで大変な任務だとは思いますが、だからと言ってむやみやたらに必要以上の暴力を振るって良いという権限はないはずです。警察官だって一人の生身の人間です。警察がやることだからと言って先入観で正当性を判断することは決して正しいことではないのではないかと思います。仮に、警察という立場を悪用してやりたい放題やっている警察官が一人もいないと問うたならば、果たして完全否定できるでしょうか?警察行政の民主的な良識が問われるのではないかと思われます。 いま、骨折をさせられて2ヶ月経とうとしていますが私の右腕は一向に治らずとても不自由な生活を母の安否を心配しつつ毎日独りぼっちで暮らしてます。医者も驚くほどの重症です。このような暴力を行う必要のあったシチュエーションであったのか、見識を問いたいものであります。
そして、救急車で済生会病院へ行き、一通りの診断を受けた直後に釈放と言われました。間もなくして母も食べ物と飲み物をもって心配て駆けつけてくれました。それから病院を出ようとしていたらある
八幡東警察署の刑事さんか「私もよくわからないのですか事情聴取を骨折して痛いなか恐縮ですがご協力願いませんでしょうか?」と。私は疲労困憊していましたが身の潔白を立証するために八幡東警察署に行くことにしました。刑事さんたちは「お辛いところすみません。こんなケースは初めてでして。」と何度も言っていました。
質問関しては全て清廉潔白であることを正直に答えたのですが「あなたは警察官の胸ぐらをつかみましたか?」という質問には違いますと何度も何度も明確に答えたにもかかわらず、全く修正してもらえませんでした。そのときの服装はあまり見てないのですが、そもそも防弾チョッキでおおわれていてどこが胸ぐらなのかもわかりません。そもそもその時は両手首を掴まれていたので胸ぐらなど掴みようがありません。警察側としては正当性を主張したいのでしょうが、その目論みも虚しく、事実とは異なります。
長々と尋問に時間がかかり母のことも気がかりだったし私も疲労困憊だったので直ぐに帰路に着いたのですが部屋の中には母はおらず、直ぐに母の携帯電話にかけてみると母は「今、八幡東警察署に保護されてる。明日の朝戻れるみたいよ。じゃあまた明日ね。」と深夜にやり取りをして私は疲れきって眠ってしまいました。
つまり、私が長々と事情聴取を受けている間、母は警察署に保護されていたようです。
しかし翌朝(6月26日)起きてみると母は帰っておらず、慌てて八幡東警察署に電話すると「お母様は午前8時に署を出られましたよ。そのあとのこと私たちの関知することではないので。」と言われました。八幡東警察署と八幡東区役所は通妨虚偽表示をおこなったわけです。母の捜索願いを依頼したところ「関知しない!」と語気を強めて言われました。八幡東区役所の地域包括支援センターに電話をすると。「お母様は安全なところにいます、あなたは骨折の治療に専念してください。」(これは荒巻さんと猿渡さんが話し合って決めたそうなんですが)とのことでした。母は警察署に8時まで保護されていてそれから地域包括支援センターにより名称も場所も 連絡先もわからない何処かの施設に連れ出され携帯電話の電源も誰ものかに切られ事実上拉致監禁状態になってしまったようです。どうやら高齢者虐待防止法を適用しているらしいのですが、何をもってそのメルクマールとしているのか。八幡東区役所に私が「母親を殴り殺す」と言ったなどと主張していますが、ではいつ、役所のどなたに祖のようなことを言ったのは答えてもらえません。そもそも、母を殺すなどといった内心的効果意思は私には微塵もありません。私は6月25日以降突然母がいなくなり今日に至るまで毎日毎日母の心中をおもんばかったり健康状態が心配で、おまけに利き腕の上腕骨折で一人きりで不自由な生活をしており心身ともに日々衰弱の一途を辿っています。母はその翌日、常連さんと予約を交わしてお店を開ける予定だったし、その次の日は何か集まりごとに出席しなければならなかったのですが、母のお店も開いてないし携帯電話の電源も切られてるし集まりごとにも出席できるはずもなくお客さんや多くの地域住民がとても心配してくださって騒ぎになっています。私も何度も地域包括支援センターに電話したり伺ったりしても何も答えてもらません。他の心配してくださっている方々に説明の仕様がなく大変困惑しております。医療設備があるのかどうかすら教えてもらえず、また、お店に関しても母が居なくなって営業ができず固定費が大きくなるばかりで取引先関係も滞り、店の家主は弁護士まで雇って法的な手続きをとろうとし、当の営業主である母が拉致監禁状態なので払う意思があっても払えないのが現状です。
八幡東区役所はこちらの内部事情も厳密に把握することなく私達の思いも考えることもなく母をどこかの施設に画一的なマニュアルに基づき逆に 私達を虐待しているのです。
警察や役所や医者のやることはすべて正しいという一般概念を悪用して勝手気ままにやりたい放題私たち家族の生活をかけ混ぜています。
八幡医師会の山西ケアマネージャーと八幡東区の春の町にあるシルバーメイトというショートステイの人が母をシルバーメイトに連れていくために家に来て、先ず山西ケアマネージャーがベッドに仰向けに横になっている母に歩みより色々と話をしていました。しかし、母は「あなた嫌い」と山西ケアマネージャーに言いました。母は彼女のことを気に入らなかったようです。そうすると、いきなり山西ケアマネージャーが母の上半身を起き上がらせるためなのか母の手首を掴み強引に引っ張ろうとしました。そうすると母が「痛い、痛い、何するの?」とかなり痛そうにして、そばで見ていた私も内心ヒヤヒヤしていました。彼女のそういった行動は虐待以外の何物でもありませんでした。そのあとシルバーメイトの人が加わり二人で母の上半身と下半身を持って急いで玄関先に置いてある車椅子の方へ運ぼうとしていましたが途中で母が「待って。目眩がする。」といって私も母が可哀想で居てもたってもいられず思わず「あ、ちょっと。」と声が出てしまいました。母が目眩を訴えているのならば少し休ませてあげてもっと丁寧に反でもらいたかったらです。そうすると、二人は母をベッドに戻し無言でとっとと帰っていってしまいました。
仕方がないので母に再びショートステイに行くことを確認した上でもう一度お願いするために山西ケアマネージャーに電話でお願いすると「こちらも忙しいけど、もう一度シルバーメイトに連絡して行けたら行きます。」という返答がきました。
暫くすると、玄関のチャイムが鳴りドアを開けると山西ケアマネージャーの姿は見えず先程のシルバーメイトという名前のショートステイの人一人のみ車椅子を持って立っており、先程は母の部屋のなかに入ってきたにも関わらず「私は家の中には入れないのでお母さんを運んできてください。」(さっきはズケズケと人の部屋に入ってきたくせに)と言うので仕方ないので私一人で母の両脇を抱えて母が痛くないようにゆっくりと運んでいって車椅子の前までやっとの思いで汗をびっしょりとかきながら息を切らして倒れてしまいました。そうすると、ショートステイの人は「お母さんを車椅子に乗せてください。」と言うので、私は最後の力を振り絞り何とか車椅子に乗せました。その際、私は腰を痛めてしまいました。シルバーメイトの人に「母を宜しくお願いします。」と言って母を見送った後、 私はグッタリして動けず腰を痛めてしまいました。
その後、母と電話で話すと「最初来た人はものすごい力で私の腕を引っ張ってすごく痛かった。なんなのあの人達?あんたが後で脇を抱えて運んだときには痛くなかったけど。」と母は言っていました。これは虐待には該当するように思えてなりません。
以上のように、私は警察と医者と役所の対応に振り回され非常に困惑しております。惑わす言葉を使ったり恫喝したり適当に嘘をついてその場しのぎの対応です。本当に組織的に何を企んでいるのか解らず私と母は何の前触れもなく離れ離れにされ二人の今後の予定も無茶苦茶にされ戸惑うばかりです。
警察官によって骨折させられた私の右上腕は全く回復の兆しも見えないままです。
@私の腕を骨折させた八幡東警察署警察の度を越えた暴力行為(オンブズパーソンに相談したところこれは傷害罪に問われるべきと仰ってました。)
A八幡東区役所の地域包括センターが私達の事情も度外視して好き放題に勝手に母を連れ去ることの公務員権限乱用性の有無
B市立八幡病院の白石康子精神科医のドクターハラスメント
C山西ケアマネージャーの母に対する虐待
に対してどのような対抗策があるのでしょうか?
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